マーティン・ルーサー・キング・ジュニアD
                  〜クローザー時代の学びと失恋


1948年6月、モアハウス大学を19歳で卒業した
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、
その年の9月、ペンシルベニア州チェスターにあるクローザー神学校に入学した。
この神学校は生徒数が百人に満たない小さな学校だったが、
各地から優秀な学生が集まり
当時としては画期的な人種隔離のないリベラルな学校だった。
黒人の生徒は10人足らずだったが、
マーティンは初めて白人と机を並べて勉学に没頭し、
入学してしばらくはストイックなまでに自分の身なりや行いに気を配った。
それは白人の目を意識して、
黒人として恥ずかしくない立ち居振る舞いをしようという
強い自意識と責任感から生まれた行為だったのである。
そのためシャツやズボンにはいつも折り目正しくアイロンがあてられ、
靴はピカピカに磨き上げられていた。
しかし礼儀作法にこだわるあまり、
周囲には堅苦しくよそよそしい印象を与えてしまう。
 
マーティンは寄宿舎で夜を徹して
ルソー、ホッブズ、ロック、ニーチェなどが著した
哲学書や
宗教に関する本を読み漁り、独自の見解をまとめあげて、
世の中の悪や不条理をどうやって取り除くかという
社会改革の方法を熱心に探究した。
彼の親友はいまだかつてないマーティンの勤勉さにビックリ仰天し、
「劇的な変化が起った」と後々語っている。
 
ある時期、彼はウォルター・ラウシェンブッシュの「社会的福音」に傾倒した。
それは物欲に根ざした資本主義国家をキリスト教的な民主国家に変えれば
すさんだ人間の心に道徳心が呼び覚まされ、
社会を良い方向へ再構築できるという思想である。
しかし、マーティンはラウシェンブッシュの考えはあまりにも楽観的であり、
キリスト教を社会と結びつけて同一視する事は危険だと悟った為
次第に彼の思想から離れるが、
幼少期からキリスト教と共に歩んできた彼にとって
社会的福音の教えは深く心に刻まれ、ある一定の価値をそこに見出すことになる。
 
マーティンがラウシェンブッシュの考えから遠ざかるようになったきっかけは
ラインホールド・ニーバーの思想と出会ったからである。
彼は若年の講師、ケネス・L・スミスを通してニーバーを知った。
ニーバーはラウシェンブッシュのキリスト教的愛の力が
社会悪を一掃するという
考えを見当違いだと批判し、
人間性をもっと罪深く悲観的に捉えた。
つまり彼は社会正義を行うにあたって
一番障害になるのは人間の利己心であると断定し
利己的な人間が集まった特権集団の存在が
社会改良を妨げていると説いたのである。
それゆえ、ニーバーは社会における力の不均衡こそが
社会的不正儀の真の原因であるとし、
集団間の関係は倫理的であるよりも政治的でなければならないと考えた。
 
こうした思想に触れたマーティンは以下のように述べている。
「ニーバーの哲学には多くの不満な点もあったが、
いくつかの点で彼は私の思想に積極的な影響を与えた。
ニーバーには人間性、殊に国家や社会集団の行動に対する特別な洞察がある。
彼の神学は人間存在のあらゆる面における罪の現実を
絶えず私に想い起こさせてくれる。
ニーバーの思想は、私が人間性についてうわっつらな楽観主義と
誤った理想主義を
持つ危険性があることを認識させてくれた。
私は今も依然として人間の善に対する潜在的可能性を信じてはいるが、
ニーバーは私に
人間の悪への潜在可能性も存在することを気付かせてくれたのである。」
 
そのうちマーティンは
利潤追求を目的とする資本主義そのものに嫌悪感を抱き始める。
彼は「資本主義体制は搾取と偏見と貧困に基づいており、
我々は新しい社会秩序を
確立するまでは、
それらの問題を解決することはできないだろう」と考えた。
そしてスミスのクラスで「私の現在の反資本主義的感情」と題するレポートを提出し
資本主義を真っ向から否定するマルクスの本を読んで感銘を受け、
以下のような考えを明らかにして資本主義を批判した。
 
「マルクスの分析にはいくつかの欠点があったにもかかわらず、
彼はある問題を提起していた。
私は10代の初めから、
あり余る富と目もあてられない貧困との間にまたがる
深い溝に
心を捕えられてきたが、
マルクスを読むことによっていっそうこの問題を意識するようになった。
資本主義は常に、人々に対して人生をいかによく生きるかと考えることよりも、
いかに多く金儲けをするかという考え方に目を向けさせる危険性を持っている。
我々は人類に対していかなる奉仕をし、いかなる関係をもったかということよりも
給料の額や所有する車の台数によって、成功の度合いをはかる傾向がある。
このように資本主義は実際的物質主義に陥る危険性があるのである。
これは共産主義が教える唯物論と同じくらい有害なものだ。」
 
しかし、マルクスは「手段よりも目的が優先されなければならない。
目的が正しければどんな手段をとろうと正当化される」と論じているため、
マーティンはそれを受け入れることができず、以下のような考えにたどりつく。
「私はマルクスを読むことによってまた、
真理はマルキシズムにも伝統的資本主義
にもないことを確信するようになった。」
 
そしてマーティンは
「一人の正直な人間がいれば
道徳的に社会全体を
生まれ変わらせることができる」
というソローの考えに強く惹きつけられ
ガンディー思想とめぐり会うのである。
マーティンは1950年の初め、
インド旅行から帰ったばかりのハワード大学学長の講演
「マハトマ・K・ガンディーの非暴力的サティヤグラハ(真理の力)の闘いについて」
わざわざフィラデルフィアまで聴きに行った。
そこで学長の話に心から感激し、講演が終わった後、
ガンディーの生涯と思想に関する
本をドッサリ買い込んで研究を始めたそうだ。
 
ガンディーはイギリスからインドを独立させるために、
「暴動」という形ではなく
「非暴力・不服従」という手段を使って民衆を指揮し、
1947年の独立に導いた。
マーティンは人種隔離の問題を解決する唯一の方法は
武装蜂起のような現実主義的方法が
必要であると考えていたが、
ガンディーの哲学を探究していくうちに
「非暴力主義」こそ最善の方法だと考えるようになったのである。
 
「私は何か月もの間求めていた社会改革の方法を、
ガンディーの愛と非暴力を強調する思想の中に見出したのである。
私はこれこそが、自由の闘いにおいて抑圧された人々に開かれた唯一の道徳的、
実践的に健全な方法であると感じるようになった。」とマーティンは告白している。
彼は後に公民権運動を指揮する立場になるが、
ガンディーの「非暴力主義」をかたくなに守りながら運動を進めていった。
 
ところで、マーティンのクローザー時代の交友関係であるが、
入学した当初は他人の目を気にするあまり、礼儀正しい態度をとりすぎて
なかなかまわりと馴染むことはできなかったが、
徐々に緊張感から解放されて酒やタバコをたしなむようになり、
ポーカーや玉突きを一緒に楽しむ友達もできて、
いつしか学内の人気者になっていった。
最後には生徒会の会長に選ばれるほど、
周囲から信頼されるようになったのである。
女性関係も派手になってきて、アトランタにいた頃と同じように
取り巻きのガールフレンドと戯れる癖が再び頭をもたげ始め、
神学校を卒業する時には別れたはずの何人かが
彼と「婚約」したと思っていたらしい。
マーティンは面食いで肌の色がうすい女の子が好みだった。
 
そしてついに3年生の時、生涯忘れられない恋愛を経験する。
これまでの人生において、こんなに夢中になった女性はいなかった。
彼女の名はベティといい、何と白人だったのである。
母親は神学校のカフェテリアで料理人として働いていたドイツ人移民だった。
もともとベティはマーティンの教授と深い関係にあったが、
マーティンの参入で三角関係となり、結局彼が勝利して、
二人は結婚を意識するほど熱烈に愛し合うようになる。
 
しかし、全幅の信頼をおくバーブア牧師から
「もし南部に帰って牧師になろうと思っているのなら、
異人種間の結婚は黒人・白人の双方からひどい反発を受けて、
二人にとって深刻な問題を引き起こすだろう」という厳しい忠告を受け、
再考するようにと促されたのである。
 
友人たちからも反対され、マーティンは絶望の淵に立たされたが、
それでも彼女を諦めることはできなかった。
ある晩彼女と密会した後、髪を振り乱しながら寮に戻って来て友人を起こし、
涙を流しながら苦悶した表情でこう言ったそうだ。
「結婚のことで父親の怒りに立ち向かう勇気はあるが、
母親の苦しみにどう対処していいかわからない。
でも彼女を失う気になれないし、自分の命を愛するのもやめることができない。」
ところがその半年後、悩みに悩んだ末、彼は牧師になる道を選び、
泣く泣くベティとの関係に終止符を打った。
 
この別れはマーティンの心に深い傷を残し、
生涯その苦しみと喪失感から
立ち直ることはなかったという。
それでもマーティンは3年生の時にオールAの成績をとり、
1951年6月、神学士の資格を取得してクローザー神学校を首席で卒業し、
さらに勉強をするため奨学金を得て、ボストン大学大学院に進んだ。
その後まもなくしてマーティンは生涯の伴侶となる女性と出会うのである。
 
 
★私は失望した時、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利したことを思い出す。
暴君や殺戮者はそのときは無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。
どんな時も、私はそれを思うのだ。
<マハトマ・ガンディー>
 
★”目には目を”は全世界を盲目にしているのだ。
<マハトマ・ガンディー>
 
★私には人に命を捧げる覚悟がある。
しかし人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。
<マハトマ・ガンディー>
 
★私はガンディーの哲学を探究していくうちに、
愛の力に関する懐疑心が次第に消失し、
社会変革の領域におけるその効力を初めて理解するようになった。
ガンディーはおそらくイエスの愛の倫理を、単なる個人間の相互作用から
強力で効果的な大規模な社会力にまで高めた史上最初の人である。
<マーティン・ルーサー・キング・ジュニア>
 
 
<09・4・20>










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